『ハウルの動く城』に学ぶ!地味で家庭的な女がモテるワケ

モテる女性 2024.05.20

宮崎駿監督長編アニメーション作品『ハウルの動く城』。

魔法でおばあさんにされてしまった少女が、魔法使いハウルに恋をするストーリーですが、ハウルとソフィーの関係にときめいた方も多いのではないでしょうか。

主人公ソフィーは、亡くなった父が残した帽子屋で働く地味な少女。

「自分は長女だ」ということで自由を拒み、店を続けることにアイデンティティを見出そうとします。

しかし、ひょんなことから荒地の魔女に目をつけられ、魔法の力で容姿を90歳のおばあさんに変えられてしまいます。

目次

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1、いい女はおばあさんになってもいい女!ソフィーの底力

振り回される形で自分の居場所を捨て、家を出ると、これまた偶然にも魔法使いハウルの動く城に住むことに…

地味で家庭的で華やかさに欠けるように見えるソフィーですが、芯が強くて肝が据わっている姿に共感と尊敬を感じた女性も多いことと思います。

確かに、劇中、実際にモテる様子を描かれているのは、ソフィーの妹・レティー。華やかで可愛らしくて、典型的なモテる女性。

それとは対照的に、ソフィーは男性に縁がないように見えます。

しかし、お付き合いしたい女性がレティーなら、結婚したい女性はソフィーなのではないでしょうか。

おばあさんの姿になっても、ソフィーの本質は変わりません。これは、いつか必ず訪れる「加齢という名の呪い」に打ち勝った姿、とも言えます。

では、ソフィーがなぜハウルと結ばれたのか、地味な女は日の目を見ないのか、女は外見なのか中身なのか、考察してみたいと思います。

加齢という呪いに打ち勝ったソフィー

作中のソフィーはどこにでもいる普通の少女。

しかし、その生活が一変するのはハウルと出会ってしまったから。その出会いは偶然ではなく必然のものでした。

ソフィーは自分のことを、恐らく「普通の女性」だと思っていたでしょう。何事もなければ帽子屋を続けて平和に暮らすことを希望していたはずです。

しかし、その真価が問われるのはピンチが訪れた時。ソフィーは突然、おばあさんの姿に変えられてしまいます。

もし、若い女性がおばあさんの姿にされてしまったら…?もしかすると、中には「生きていけない!」と思ってしまう女性もいるのではないでしょうか。

長く生きていればいつかは老いていくもの。

ソフィーは驚きますが、案外あっさりとその事実を受け止めることができます。これはすでに何かに対する覚悟ができていたからではないでしょうか。

ソフィーの覚悟!これ以上は望まないと悟った背景とは?

ソフィーはおそらく、自分が何者であるかよくわかっていました。

帽子屋の娘で、長女で、地味で取り柄のない女だから、ひっそりと暮らしていくしかないんだ…と思っていたのではないでしょうか。

長女の重責…とは、経験者にはわかると思いますが、長男の持つそれともまた違い、次男や次女のものとは全く異なります。

男が生まれなかった家庭の長女、とは生まれた時から「墓守」を命じられているようなものです。中には結婚することも許されず、一生を家の為に捧げる人もいます。

ソフィーの場合、父が亡くなった時から店を切り盛りし、実質店の女主人であった為、この時にはもう「女性としての喜び」などは捨ててしまっていたのではないでしょうか。

レティーとの会話でもわかる通り、レティーは「自由になる権利があるから、飛び出そうと思えば飛び出せる」ということを示唆しますが、ソフィーは拒みます。

これはソフィーが自ら覚悟したことであると同時に、家制度の呪縛だったのかもしれません。

今の生活以上のものは望まない。贅沢なことは望まずに与えられた使命を全うしよう、という覚悟がすでにできていたものと考えられます。

一度諦めがついた女は強い?開き直って楽しむ女になる

湖のほとりで椅子に腰掛けながら、おばあさんになったソフィーは「不思議ね、こんな穏やかな気持ちになれたの初めて…」と呟くシーンがあります。

これは、まだ若い娘の姿であった頃の自分とは違う、ということを意味しています。おばあさんになってしまう前のソフィーは、様々な葛藤に悩まされていたのでしょう。

それは、自分のした覚悟と、本当はそうしたくない自分との心の摩擦ではないでしょうか。

これだ、と決めて実行していても、心のどこかで「本当にそれでいいの?」という本心がひょっこり現れます。

おばあさんになるまでのソフィーは、いつも心がざわついていた。だから、このシーンではやっとその葛藤から解放された、と告白しているのです。

おばあさんになる、ということはソフィーにとっての悩みの種であった「若さ」や「女性であること」から解放された状態です。

もっと他にも仕事があるとか、結婚すればいいとか、きれいな格好をしなければならないなど、余分なものがさっぱり抜け落ちた状態であることに、ソフィーは安堵を覚えたのでしょう。

このように、葛藤から解放される為には、何かを諦めなければなりません。

例えば、ダイエットしたいけどお菓子も食べたい!というのであれば、ダイエットをやめることによって葛藤はなくなります。

開き直って、現在の状況を楽しむことができるようになれば、ソフィーのように穏やかな気持ちになれるのではないでしょうか。

年齢や外見を超越した存在!価値のある女になる為には?

本当にいい女は、例え年を取ってもいい女です。

若い頃は良かったけど、年をとったら醜くなったという女性は、その程度の女だった、ということです。

どうしても「モテる」ということを話題にすると、目先のモテにしか興味を示さない方がほとんどですが、モテるにしても、いい女にしても、もっとロングスパンで物事を考える必要があります。

今この1年間だけモテて、あとはモテない、ということで「本当にモテる女になれたか?」と言えば、答えはNOです。

確実に約束されている事実は、「老いる」ことと「死ぬ」ことです。

いくらお肌のお手入れをしようが、ダイエットをしようが肉体改造しようが、いつかは老いるし死ぬのです。

美しさを磨くことも大切ですが、ソフィーのように魔法で一瞬にしておばあさんに変えられてしまった時、ただの醜い老婆になってしまうのでは、意味がありません。

本当にいい女、本当に価値のある女になる為には、年齢や外見を超越し、みんなに愛される人柄になることを目指すのが、本当のモテ女への道です。

2、家庭的パワー炸裂!ソフィーはみんなのお母さん?

ソフィーは城に住む対価として、掃除婦になることを決めます。家事が得意なソフィーにはぴったりの仕事です。

しかし、城の中での仕事はそれだけにとどまりません。ハウルの弟子、マルクルの教育。荒地の魔女がきてからは老人の介護。そして、ハウルの心配も…。

最初は90歳のおばあさんだったソフィーが徐々に若返っていく様子も見られます。

これは魔法が解けている、というよりも「やらなければいけない仕事があると自然と若返る」ということを意味しているような気がします。

人から求められる、誰かにとってなくてはならない存在になる。これらはそのまま「お母さんになること」を周囲に求められた、と言えるのではないでしょうか。

おばあさんの姿になったから得られた?若さから解除された姿

女性はそれなりの年齢に達すると、男性から「お母さんみたい」と称される時期がきます。それは、女性としての安定期に入った、とも言えるかと思います。

若さだとか美しさだとかいう競争から外れて、「母のような存在になる」ということは、警戒を解かれた状態とも言えます。

女性らしさを求められているうちは、男性にとって性的対象ですが、それを逸脱するということは、敵ではなく味方だ、というような捉え方をされます。

「それって女としての終わりじゃない?」と思われるかもしれませんが、実際に人生80年だと考えても、せいぜい女として求められる期間は約半分ほど。

残りの時間は、また違うステージに進むと考えられます。

「お母さんみたい」というのは、褒め言葉として捉えて正解です。年を取ることをマイナスに考えているうちは、「お母さんみたい?ババアってこと?」と眉間にシワを寄せる人も多いと思います。

ただ、男性は採れたての新鮮なものにはすぐ飽きてしまいますが、結局帰る場所は「お母さん」のところです。

ソフィーはおばあさんの姿を得ることによって、相手に「お母さんのような」安心感を与えられた為、それによって求められることも増え、活力が増したのではないでしょうか。

家庭的な素質を発揮できる場所はここ!適材適所で輝く個性

自分にはどんな素質があり、それを生かせる場所はどこか、と考えた時に、やはり家庭的で家事が得意な人は家の中のことをする方が全力を出せるというものです。

掃除婦として働きはじめたソフィーは、自分にはそんな仕事がぴったりだと思ったのではないでしょうか。地味に生きてきた自分にはぴったりの仕事だと、半ば自嘲気味にもなります。

しかし、どんな仕事であっても、得意なことをすることで輝くことができます。ソフィーは偶然ではあったものの、自分の得意な仕事を見つけるのです。

家庭的=所帯じみた、と思う人もいるかもしれませんが、家庭的で所帯じみた人がカッコ悪くて、外でバリバリ仕事をする人がかっこいい、というわけではありません。

自分の得意なことを見つけて、それを生かしている人がかっこいいのです。

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3、なぜ男は自称ダメな人間なの?まるごと許してくれる存在の必要性

ソフィーが働き者の真面目な女性だとしたら、ハウルは心が弱くてすぐ挫折するどうしようもない男という位置付けです。

戦争を止める為にあちこち飛び回りますが、その心は荒んでいきます。

強い魔力を持ち、魔法使いとしてはかなりの実力の持ち主でありながら、師であるサリマンを敵に回してしまいます。

男性は時に、「面白いことに夢中」になります。

そして、それ以外のことがおろそかになるのですが、それが人間としての致命的な欠点ともなりうるのです。

その為、男性は「やるべきことをきちんとしていない」場合、ダメ人間だ、と自分で思い込みます。

俺ってダメな男なんだとか、どうしようもない奴なんだ、と自分を否定します。

しかし、誰かに言われる前に自分を否定する、ということは、誰かに否定されたくない、ということです。特にハウルの場合、美しさにこだわるなど、自信がないゆえに自分の外見を気にしています。

本当は、「ありのままを受け入れて欲しい」と思っていました。美しさを失ったとしても「その存在に価値がある」と認めてくれるソフィーを必要としたのです。

心はどこに?好奇心に向かって直進する子供のような男たち

ハウルはカルシファーと契約し、生死を共にすることにより大きな魔力を得たのですが、サリマンには「心をなくした」と言われています。

しかし、ハウルは心をなくしたわけではありませんでした。ソフィーもそのことには気がついています。

ただ、好奇心いっぱいの子供は、時々その分別を失うのです。

ハウルは真実を見抜いたソフィーの大きな愛に包まれますが、これは少しの失敗や迷いなどを許してしまうものです。

自称ダメな男の多くは、パワーを持っているのに注ぐべきところがわからない、向け先を間違っているだけで、ダメな男ではありません。そして弱気で自虐的です。

それを叱咤激励しながらコントロールしてくれる女性を求めています。ソフィーとハウルの関係性は、需要と供給のバランスはとれているのです。

4、実家の両親=カルシファー?みんなとうまくやってくれること

男性は、自分との相性も去ることながら、自分の家族ともうまくやってくれる女性を大事にします。

この映画の中で、ハウルの肉親は登場しませんが、自分の分身のような存在であるカルシファーが認めた女性、ということでソフィーと対面します。

その前に一度会ってるのですが、複雑な魔法をかけられた為、ハウルはこの時点ではまだあの時の少女だとは気がついていません。

それよりも、カルシファーが城の中に入れた!ということの方が、ハウルにとっては関心するところです。

たまたま入ってしまったソフィーでしたが、カルシファーにとってもその出来事は誤算。

予期せぬお客様でした。しかし、追い出すこともできずにいると、「火を消す」と脅され言うことを聞くはめになるカルシファー。

おそらく、カルシファーはハウル以外の人間の言うことには耳を貸さなかったのでしょう。

マルクルでさえ、火を使わせてもらえていなかったのです。その為、ハウルにとってソフィーは、実家の両親が認めた女性、のような存在になったのです。

女性は協調性?家族をまとめあげるリーダーシップが必要

実家の両親に女性を紹介して、気に入ってもらえるということは、男性にとってはひとつ壁を乗り越えたということです。

その為、男性は女性に、自分以上の協調性やコミニュケーション能力を求めます。

男性は外で仕事をしていますが、その間女性に家を守ってもらうとして、家の中のこと外のことを行うことは、外部とのバランスを保つこと。

サリマンのところに、代わりにソフィーを行かせることも、ソフィーのコミニュケーション能力を見込んでのことです。

そして、いつの間にか増えてしまった家族をまとめあげるのもソフィーの仕事でした。ハウルは自分が自由奔放な分、ソフィーには社会性を求めたようです。

ソフィーは派手な部分はありませんでしたが、社会性は十分身につけていました。男性はそのような、一般常識や社会性を女性に求めるものだと思います。

いい女かどうか判断するのは男じゃない?周囲の評価が重要

女性も同じかと思いますが、付き合うことになった男性を友人などに紹介した後、「ねえ、あの人どう思う?」と感想を尋ねることはないでしょうか。

自分の判断だけでは偏った印象しか受け取っていない可能性があるので、周囲の意見や評価は重視するかと思います。

もし信頼をおける人に「あの人ちょっとどうかな」と言われれば、交際そのものを見送ることだってあるでしょう。

その点、ソフィーは合格でした。

カルシファーもマルクルも、ソフィーを高く評価し、最初は警戒していたハウルも信頼し始めます。

周囲の評価が良いから好きになる、という効果もあります。最初好きじゃなくても、「あの子いいよね」と評価が高いと、好きになってしまうことがあるのです。

ソフィーは人柄がよかったので、周囲の評価が高かったのですが、もしハウルだけしか見ておらず、周囲を疎かにしていたら、ハッピーエンドは訪れなかったでしょう。

5、遊びの女と本命の女・男は用途によって使い分けをする

ハウルは若い女の子の心臓を食べちゃう…と巷では噂されていましたが、実際はそんなことではなく、確かにハウルには女ったらしな面があるようでした。

ソフィーと出会うシーンも、女性の扱いには慣れた様子。紳士的な振る舞いで、どうすれば女性のハートを掴むことができるか心得ているようです。

その為、おそらくハウルは遊び相手の女性には困ってはいないでしょう。ちょっと声をかければ、ハンサムな外見と甘い言葉で一人くらい思い通りです。

ですが、一方で誰にも心を開かず、動く城で暮らす、という一匹狼の面も持ち合わせています。これは、遊び相手には困らないけれど、本当に信頼できる本命の彼女はいない、という意味です。

城の中も荒れ放題、弟子のマルクルはテーブルマナーも知らない。城から出かけたまま何日も戻らず、何をしているのか目的も隠しています。

男性は「好きだ」「愛してる」と言いながら、その実、自分のごくプライベートな部分に、遊びの女には触れてほしくない、と考えます。

どうすれば本命彼女になれるのか?遊びの女は誰でもいい

男性の中では「この人は遊びの女」「この人は本命」と、明確に分かれています。

遊びの相手にはバラエティの要素を求めますが、本命彼女には人間的な繋がりを求めます。

例えるなら、遊びの女はお菓子で、本命彼女は食事です。お菓子は、ただ美味しくて楽しい存在であればいいのですが、食事はそうはいきません。

栄養面だったり彩やカロリーに至るまで、健康に関わることなので厳しくなります。その為、簡単には甘い言葉は与えません。

お菓子には「甘いよー」「美味しいよー」と簡単に言いますが、それはただ味や食感を娯楽として楽しめればいいだけだからです。

食事は美味しさ、見た目、栄養面、どれかが欠けても満足できない為、「味はいいけど見た目がダメ」「カロリーが高い」と評価も厳しめ。

ハウルはソフィーを口説こうと、甘い言葉を使うことはあまりありません。それは、言わなくてもわかるだろう、という他に、遊びの相手として見ていない、という証拠です。

遊び相手になるのは簡単ですが、本命彼女になるのは難しいものです。

もし本命彼女になりたいと思うのならば、ソフィーの様子をじっくり観察する必要がありそうです。

本命彼女は誠実な女性がいい…一生懸命でひたむきな姿

男性は遊び相手に誠実さは求めません。家事もできなくても全然構いませんし、ただ美人で尻軽でその時だけ楽しい女であればそれでいいのです。

しかし本命彼女には、見た目は別として、誠実で一生懸命な人を求めます。物語の途中で、ハウルはソフィーが魔法によって老婆の姿に変わっていることを知ります。

おばあさんのふりをして掃除婦だと言って頑張っている姿を見て、心打たれるのです。

これは、モテたいと思って外見磨きをすることは、本命彼女になる為の行動からは離れていることを示しています。

モテる為に外見磨きをする=遊びの女候補になる、ということです。

モテたい、男の人の目を引きたい!と行動することは、結局、遊び目的で女性を探している男性の目に止まるようになるだけ、ということです。

ソフィーのように、本命に見てもらう為には、中身、特に精神的な部分での誠実さを磨くようにすることが、遠回りのようで近道なのではないでしょうか。

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6、子供に好かれようとしないで!子供に信頼される女性になる

いつか結婚して子供がほしい、と思う女性もいらっしゃるかと思いますが、確かに「子供好き」を男性にアピールすることが、家庭的な印象を与えることにもなります。

その為、街で子供を見かけたときに「かわいいー!私子供好きなのー!」とわざとらしいアピールをする女性もいます。

ただし、男性はそれを見ても「無駄なアピール」と思っているかもしれません。結婚を意識した女性に求めているのは、子供好きかどうかではなく、子供を出産して育てられるスキルです。

表面上、アピールすることである程度情報としては伝わりますが、人を見る目のある男性はその様子を見て引いてしまうでしょう。

私子供好きなんだよね、とは見え透いたアピール。「私女子力高いのよ」と自己申告していることと同義です。

もし本命を探している男性であれば、言葉で「子供好きなんだよね」と言うよりも、実際に子供と遊んでいる姿を見せる方が効果的です。

マルクルのハートを掴んだソフィー…子供の目はごまかせない

子供は素直です。子供の扱いに慣れていない女性はすぐにわかりますし、本来子供はとても警戒心が強いですから、打ち解けるには時間がかかる場合があります。

その為、たくさん独身女性がいても、子供が懐く女性と、全く懐かない女性とに分かれます。

子供にとっては見知らぬ女の人、ですから、何をされるかわからない相手です。

ソフィーとマルクルも最初はその関係でした。マルクルは、ハウルの弟子であるという立場から、大人のような振る舞いでソフィーに接しますが、これは警戒心の表れです。

しかし、次第に心を開き、どこにも行ってほしくない大切な人になっていきます。マルクルにとっても、見た目がおばあさんか、若い女性か、というのは関係のないことだったのです。

子供に懐いて欲しい、という下心を持って接すれば、どんどん警戒してしまいます。

中身がある女性か、すっからかんな女性か、子供にはすぐ見抜かれてしまうのです。

子供を出産して育てるスキル!たくましさと愛情があるか

この女性、本当に結婚しても大丈夫かな、と思った時心配なのが、子供を出産して育てられるか、というところですが、男性はこの部分からは逃げ腰になりがちです。

子供はほしいし、育てたい、とは思っていても、よくわからない世界だ、と思っている人は多いでしょう。

その為、まかせきりになったり、指示を仰がないと動けない人がほとんどです。

その為、「この女性は一人でも赤ん坊の世話ができるか?」というのは、重要なポイント。

子育てに必要なのは、健康的なたくましさ、精神的なタフさに加えて、愛情の有無も関係してきます。

自分の子なんだから愛情があって当たり前でしょ!と思いますが、中にはそうでもない人もいて、特に男性は「女性は自分で生んだ子供には愛情を与えるべきだ」と思っている人が多いです。

実際に生んでみないとわからないのが本当のところですが、男性は「この女性は愛情があるのかな?」ということを密かにチェックしています。

例えば、「私赤ちゃん大好きなのー」とアピールしてきた女性がいて、男性は「うんうんそうか」と聞いていたとします。しかし次の瞬間、赤ん坊が隣にいる横でタバコを吸い始めたら…?

さすがに男性も引いてしまうでしょう。

子供に愛情を示せるかどうか、というのは様々な試練の連続ではありますが、結婚前に男性の目にどう映るかによって、女性としての評価は大きく左右されるでしょう。

7、カブの思いこそ全て?ソフィーの発揮する魅力はコレ!

カブ頭のカブは、最後にソフィーのキスを受けて元の隣国の王子の姿に戻ります。愛する者のキスで解ける魔法にかけられていたのです。

では、なぜカブはソフィーを思っていたのでしょうか。

おばあさんの姿のソフィーに助けられ、その後は恩返しのつもりで手助けし、「私かぶは嫌いなの」と言われてもついていく。

この時、すでにカブはソフィーに恋していたのではないでしょうか。姿を変えられていた者として、外見ではなく心に注目していたのではないでしょうか。

ソフィーの魅力は何か、と考えた時、このカブの存在を忘れてはなりません。なぜなら、ソフィーを想い続けてその身を犠牲にしたのは、彼だからです。

真実の愛は心にある!上辺だけではない優しさを見抜いたカブ

人は見た目じゃない、とは言っても、なかなか男性からおばあさんに恋することは難しいかと思います。男性は見た目で女性を判断する人も多いです。

ところが、カブはソフィーについていきました。これは感謝の心です。自らも魔法で姿をカブ頭に変えられ、言葉を話すこともできず、おそらく辛い思いをしていたのでしょう。

そこへ現れた一人の老婆が助けてくれた。しかも、言葉を話せない自分に話しかけてくれる。これは青天の霹靂だったことでしょう。

単に男女関係、というのであれば、好きだの惚れたの、という話になりがちですが、カブが示したのは人間愛です。外見や状況などを取り払って、残った芯の部分への愛です。

崖から崩れ落ちた動く城の残骸、その上に乗っているソフィーたちを助けようと、カブは自分の体をなげうちます。

自己犠牲の精神です。元の姿に戻れる可能性も薄いまま、ただソフィーの為に全てを全力で捧げるのでした。

なぜカブは、そこまですることができたのでしょうか。

それは、辛い境遇を体験したからです。何の苦労も知らない人には、おばあさんはただのおばあさんにしか見えません。

しかし、心底辛い思いを抱えている時に助けてくれたおばあさんは、おばあさんの姿をした神や仏に見えたのかもしれません。

もし、コンプレックスを持った女性に対して、デブだのブスだのと言う男性がいたら、その人たちは恵まれた環境でぬくぬくと育った、苦労知らずの人たちです。

苦労知らずの男性には、真実の愛など理解できません。親切なおばあさんも、ただの老婆にしか見えないでしょう。

【番外編】ナンパされるほど美しい容姿のソフィー

宮崎駿監督長編アニメーション作品『ハウルの動く城』より、主人公ソフィーの魅力をひとつずつご紹介してきました。いかがでしたか。

「美しく強い魔法使いであるハウルと恋に落ちたソフィーのようになりたい!」と考える女性も多いことでしょう。

ソフィーはたしかに地味で家庭的な女性ですが、決して見た目が悪いわけではありません。

映画の冒頭では、ソフィーは兵士2人に声をかけられていますよね。

つまり、ソフィーはナンパされるほど見た目が良いのです。

美しいものをこよなく愛するハウルも「ソフィーは綺麗だよ!」と言っているため、間違いなさそうです。

「美しい容姿」と「唯一無二の人間性」がモテる秘訣

看板娘でモテるレティーと姉妹ですから、当然といえば当然ですが、ソフィーも地味なだけで見た目は良いのです。

それに加えて、心根が優しく家庭的な一面があります。また、愛するハウルを救うためになりふり構わず必死になれる、大きな愛情と勇気も持ち合わせています。

ソフィーの美しい容姿と唯一無二の人間性に、ハウルは惹かれたに違いありません。

見た目と性格、ふたつの要素が合わさってこそ、「好きな人に好きになってもらえる女性」になれるのです。

ちなみに、映画の原作となった小説版では、ソフィーはハウルと結婚し、子どもを産んでいるんですよ。

人に愛される人になる!ソフィーのように人間性で勝負する

いい男を捕まえようと思ったのなら、いい女にならなければなりませんが、いい女が男性にモテる女であるとは限りません。

本当にいい女は、ソフィーのように、見た目がおばあさんでもみんなに愛される人のことを言います。男性にだけでなく、みんなにモテる女です。

女は中身で勝負!ですが多くの男性は見た目で女性を判断しようとします。しかし、中には中身をしっかり見てくれる男性もいます。

お互いに審美眼を試されているのです。

ソフィーは、本当の意味で「人に愛される人」です。

目先のモテにばかり気を取られず、ソフィーのようにもっと深い部分から人間としてモテる女性になりたいものです。

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